『妨げとなっているもの』
「神がいる証拠(奇蹟?)を見せてくれたら神を信じる」と言う人がいますが、本当でしょうか?
イエス様は、「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。あなたがキリストなら、はっきりと言ってください」と言ったユダヤ人たちに、こう言われました。「わたしは話したのに、あなたがたは信じません。わたしが父の名によって行うわざが、わたしについて証ししているのに、あなたがたは信じません。」(ヨハネ福音書10:24~26)。
主は、「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます」(同10:27)とも語られましたが、キリストを信じることを妨げているのは、『私の人生の主人は私であり、神にあれこれ言われたくない』とか、『自分に罪があることを認めることなどしたくない』と言う思いではないでしょうか?
Ⅰヨハネ1:9~10。
1:9 もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。
1:10 もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。
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